【成績アップ】テストで5割だった自分がたった4ヶ月で8割以上取れた方法。

教育

今回の記事は私自身の中学時代の体験談です。
中学3年の部活引退後の8月から12月までの5ヶ月の間に定期テストが5教科で150点アップ(250点→400点)したときに取り組んだこと、そのときの状況などを踏まえながらお伝えしたいと思います。

中学3年までずっと平均以下の学力でした。

私は本当に勉強が大嫌いな子供でした。
学校から帰ってきたら、ランドセルを玄関に放り投げて、宿題もせず近所の同級生と外でサッカーや鬼ごっこ、屋内ではゲーム三昧というどこにでもいそうな子供でした。

小学校のテストは範囲も狭く、習ったらすぐテストなので、そんなに家で勉強しなくても、授業をしっかり聞いて、宿題をちゃんとやっていれば軽く90点以上は取れるように作られているのですが、周りが90点とか100点取っている中、私はいつも60点前後くらいだったのではないでしょうか。忘れ物も多く、集中力もないので授業中も別のことばかり考えていて、先生に当てられても何を聞かれているのかわからずまともに答えられないことから、毎日先生には怒られてばかりでした。

そのまま中学に上がり、ますます勉強ができなくなります。
中学で一番最初のテストで、確か500点満点中の250点くらいでした。

そのままずっと中3の夏の終わりまで、毎回のテストの点数は250点前後でした。
国語と英語が特に嫌いで、50点を上回ったことはほとんどなかったです。

ただ、ある事がキッカケで、いろいろな事が重なり、自分の中でも今まで考えたことのないくらい自分の今後のことを考えるようになり、目標が生まれ、行動が変わり、結果が変わりました。

変わったキッカケは?

中学生にしては究極の選択を迫られた。

自分のように勉強が苦手で、部活や遊びに熱中していた同級生は「公立ダメだったら私立でいいや。勉強したくないし。」とよく言っていました。
その言葉に「そうだよなー。」と同調していながらも、心の中では同級生の言葉を羨んでいました。

なぜかというと、自分はそんな環境にはいませんでした。
というのも我が家は自分が小学2年生の時に、父が脱サラをして飲食店を始めました。
企業内独立など、支援してくれる人がいるわけではなく、全て自分だけでの起業なので、開店資金をはじめ、当時小学校低学年の自分からしたら想像できないようなお金がかかったのもあり、銀行への返済や、時にはお客さんも安定しない時期もあって、決して裕福な家庭ではありませんでした。
ただ、食べ物も着るものもないくらい苦しい生活だったかというとそうではなく、ゲームソフトも周りの子と比べたら少なく、車も家電も周りの家に比べたら古いくらいで、そんなに困窮していたわけではありません。

中学3年の夏休みだったかと思います。
家族で外食中に自分の進路について家族内で話し合う機会がありました。

今まで進路の話など一切してこなかった家庭なので、何を言われるかはわかりませんでしたが、とにかく成績が悪かったので、「このままじゃダメだからちゃんとしろ!」と怒られるのかと思っていたら、父の口から出た言葉は意外な言葉でした。

「このまま入っても入らなくてもいいような適当な高校に入るくらいだったら、高校行かないでオレが修行した東京の料亭で住み込みで働け。それでしばらく経ったら地元に戻ってきてオレの店をやれ。」

中卒で働くなんて思ってもみませんでした。しかも東京。

ただただ拒否することしかできませんでしたが、何とか高校に行かせて欲しいと懇願し、条件付きで高校行きは何とかOKしてもらいました。
その条件は、

「滑り止めなしの公立高校一本での受験」です。

家庭の事情も中学生ながらわかっていましたし、私立は漠然とお金がかかるということ知っていたので、「滑り止めくらい受けさせてくれ!」とは両親の顔を見た時には言えませんでした。


だいぶ後から母からこっそり教えてもらったのが、父は私が長男ということもあり、将来自分の店を継いで欲しいという想いから、中学卒業したら父が昔修行した東京の飲食店へ住み込みで働いてほしかったそうです。
父は戦後生まれの団塊の世代で、高校も出ておらず、中学卒業後は集団就職で地元を離れ、都内の飲食店で住み込みで働いていました。
そういう経験からか、あまり学問に対しては重要視しておらず、父自身が学歴に頼らず自分の力だけで生きてきたのもあり、息子の自分に対してもそう生きて欲しいと思っていたようです。

ただ、母としては今の時代高校くらい出ておかないと、どこに行っても通用しないし、せめて高校だけは行かせたいと父に話していたようでした。私の両親はかなりの年の差婚で、母は父よりも10歳以上年下です。
高校も大学も出ていて、成績も優秀だったようです。(祖母談)

私の父は1日のほとんど店にしかおらず、顔をあわせるとしたら学校が休みの時の午前中くらいなので、私と妹と弟の面倒は全て母でした。そんな母に対して私は、勉強のこととなると反発ばかりで、母が何度言っても効果がないことから、母から父へガツンと言って欲しいというシナリオだったようです。
母もまさか父が私に対して「公立高校へ行く」か「東京で働く」の2択を突きつけるとは思ってはいなかったようですが、私のお尻に火をつけるならこれくらい切羽詰まらせたほうがいいと判断したようで、母も父の提案に賛成したようでした。

そんなこんなで中学3年の夏、「高校に行くか」「東京で働くか」の中学生にしては究極の選択が迫られました。

目標がはっきりした。

ということで就職する気はさらさらありませんので、高校進学1本です。
ただ、選べる成績でもないのに公立だったらどこでもよかったわけではありません。
私の地元は人口も12万人ほどのまあまあな田舎町です。
高校の数もそこまで多くはありません。

ただ、普通だったら公立目指すにもそこまで勉強しなくてもいい高校を選んで、なるべくセーフティなレベルの進学先を選ぶのが普通だと思うのですが、
そんな私でも高校に通う上で譲れない条件がありまして、その条件が自分自身を苦しめる結果となりました。

その条件とは、

  • 自転車で通える高校
  • 専門課程ではなく普通課程の高校

上記の2点です。
ただ、その瞬間から進学先は2択になります。
一つは偏差値60以上の頭の良い子みんなが行くA高校で、もう一つは偏差値50くらいの平均的なB高校です。
それ以外の高校だと自転車で通えても工業系や農業系、私立高校しかありません。
電車通学というのは全く頭にありませんでした。

ですので、私はB高校を目指すことにし、志望校が決まった時点で、自分の学力もどれくらい上げなければいけないかもはっきりしました。

私の通っていた中学は一学年約180名の5クラス編成で、学年平均は500点満点中300点前半ほどで、それに対して私の学力はの定期テストで毎回250点前後で学年順位は120番前後でした。

それに対してB高校を目指すには、倍率が毎年約1.2倍で入試の当日点では350点取れていれば安泰ということもあり、入試で350点ということは普段の定期テストではプラス50点の400点を超えなければいけないという明確な目標が生まれました。

ただ、この目標がなければおそらく私は勉強しなかったともいます。
実際のところ現状維持で入れる高校はいくつかありました。
ただ、どうせ目指すなら行きたいところに行くという強いこだわりがあることで目標が生まれ、そのあとの行動力もすさまじくなった一つの要因だったのではないかと思います。

どうせやるならトップを目指せではないですけど、それくらいやらなければ到底合格することはできないレベルにあったのは確かなので、この時に全ての物事に対して「目標設定の大事さ」を非常に学びました。

恐らく現状維持で入れる高校を志望していたとしたら、今考えるとまともに勉強しないで落ちていたかと思います。

具体的な対策

勉強のできる友達に聞く

まず、目標が確定したのは部活引退後の8月頭、そこからまず目指すは9月中旬の2学期中間テストです。

今までにないくらい勉強しましたが、結果はなんと、今までと変わらずでした(涙)

「こんなはずじゃなかった・・・。」

そんな中、母に塾へ行くことを勧められましたが、塾に行くことは嫌で断りました。
何故嫌だったのかは正直覚えていないのですが、小学校の頃通っていた塾の先生が何言っているかわからなくて嫌でやめたのですが、多分あまり良いイメージを持てていなかっただけかと思います。

ただ、家も近所でクラスも部活も一緒のAくんという同級生がいまして、Aくんは昔から頭も良く、部活もレギュラーでとても優しい性格の男の子でした。ちなみに私以上のゲーマーでした。
彼は、塾には通わず独学で勉強しており、席も近かったことから、どうやって勉強しているのかを聞きました。

帰ってきた答えは非常にシンプルで、「教科書とワークしか使っていない」とのことでした。

普段の授業も教科書に沿って進めているわけで、テストも同じく教科書の範囲からしかしか出ません。

ただ、私は市販の問題集をやったり、進研ゼミをやったり、学校のワークをやったりと、色々手を出してはいますが全て中途半端の状態でした。

それ以前に勉強のやり方というのが全然わかっておらず、例えば数学のテキストをやるにもわかるところひたすらやって、わからないところは答えを写して終わりで、それだけで勉強した気になっていました。
もちろん他の教科も同様で、理科・社会も答えを書いたら終わりといった感じで、全然反復はできていませんでした。

ただ、自分自身でも勉強しながら薄々は気づいてはいました。
できる問題をどんどん解いていくことと、テスト範囲を満遍なく手を付けること、簡単にいうと「こなすこと」が勉強する目標になっており、「結果を出すこと」が目標になっていませんでした。
ですので、わからない問題に当たった時に、教科書・ノート・参考書を見てもどうせわからないし、一度立ち止まったらテスト範囲をやりきれないのではないかという恐怖があったので、わからないところをわかるまでやり抜くということから逃げていました。

ただ、その「やり抜く」ということが勉強においてとても重要で、スポーツにおいても仕事においても同様のことが言えますし、結果が求められるものの本質だということを実感しました。

戦略を立てる

Aくんからのアドバイスを武器に闇雲にやってはみましたが、効率というか自分が思っている以上に勉強が捗らず、理科・社会は暗記なので計画通りにやれば問題なく、数学も地道に基礎からやり直した結果、公式やパターンを理解すればなんとか兆しが見えてきましたが、英語と国語がとにかくもう本当にダメで、勉強していても身になっているのかどうかもわからず、日々「やってて意味あるのかな?」と感じていました。

そして、苦悩の末・・・。

日々の勉強は数学・理科・社会の自身が得意な3教科をメインに絞ることにしました。

英語・国語はやらないわけではありませんが、勉強の比重をかなり下げました。
得意なところをとことん伸ばす戦法です。

そうなると、目標点数500点満点中400点とした時に、各教科の内訳を決めました。

それが以下の内訳

  • 数学・・・90点
  • 理科・・・90点
  • 社会・・・90点
  • 英語・・・65点
  • 国語・・・65点

実際のところ英語・国語は下手したら目標下回る可能性もあるので、数学・理科・社会は実際は満点を目指していました。

日々の勉強も今まではその時その時でやる教科を決めていましたが、強制的に1週間の計画表を作りまして、その結果以下の内容になりました。

  • 数学・・・毎日
  • 理科・・・週4回
  • 社会・・・週4回
  • 英語・・・週2回
  • 国語・・・週2回

数学はとにかく毎日やりました。
理科・社会は重点的にやるといっても暗記科目なので、それぞれ一日置きのペースでした。
英語・国語は土日しかやりませんでした。

各教科1ヶ月でここまで終わらせる!みたいな計画をかけたら、1日5ページやらなきゃとか、7ページやらなきゃとか強制的にその日にやる内容が決まるので、何が何でもその計画に沿って実行しました。

具体的な取り組み

基本的には学校のワークをメインに取り組みまして、直接ワークには書かず、自分で用意したノートに書いていました。
何週したかはわかりませんが、最低でも10周くらいやったかと思います。

もちろんただやるだけでは身にはならないので、自分の中で一つのルールを決めました。
それは、間違えたら必ずその問題の番号の脇に印をつけることと、わからない問題や、間違えた問題は、完璧に解けるまで次のページに進まないというルールです。


印の数が多い分だけ自身が苦手な問題ということが視覚で判断できるので、回数を重ねる毎に自分が得意なところや苦手なところなど、傾向をつかむ事が出来ました。

ただ、はじめた当初はわからないところが多すぎて、1ページやるにも1時間くらいかかったりするときもあり、かなり凹みましたが、やっていくうちに情報処理能力というか、早期解決する能力が進めば進むほど高まっていった甲斐もあり、だんだんスムーズになってきました。

たまの息抜き

とはいっても、まだまだ中学生。遊びたいし、テレビ見たいし、携帯いじりたいしで、ストレスが溜まると勉強しても面白いくらい頭に入ってこないし、どうにもなりません。
ですので、適度に息抜きはしておりました。
ただ、一番大好きだったゲームは受験終了まで封印しました。ゲームは終わりがないというか、一度やり始める歯止めが効かないので、自分自身でもとても危険に感じていました。
ポケモンの新作や、受験直前にはファイナルファンタジーの新作出たりと、かなり危険な時期はありました(笑)

ただ、全て我慢するのは絶対に良くないので、自分にとっての楽しみは1つに絞りました。それは、前日に録画したドラマ・バラエティ・音楽番組を帰宅後に鑑賞する事です。


学校から帰宅してからのスケジュールというと、
16時半頃に帰宅したら、そのまま2時間ほど録画番組を見ていました。1時間番組を2本ですね。
そして、18時〜20時は夕食・お風呂の時間で、勉強を開始する時間は大体20時過ぎからで、就寝する24時までが勉強の時間でした。


そして、寝る前は必ずミュージックプレイヤーにスリープタイマーをつけて寝るのですが、聴く曲は決まってミスチルで、特に「ALIVE」という曲が絶望や苛立ち、不安を感じながらも、サビではそれでも希望を目指している歌詞、曲調もAメロ、Bメロとダークな雰囲気で、サビで光が射すようにかすかに明るくなる感じで、当時の自分の心境を表しているようで中学生ながら言葉や事柄は違えど深く共感できる曲でした。
今でもこの曲を聴くと、自身がプレーヤーをセットしてベッドに入る姿を思い浮かべます。

といったように、「やりたいことをやってからやることをやる」という一般的な教えとは真逆のルーティーンでした。
それが私には合っていました。

息抜きも取り入れつつ、とにかくトライ&エラーの精神で必死に机にかじりつきました。

まとめ

気になる結果は・・・?

そこから結果が出るのは意外と早く、2学期の期末は目標の8割に届きました。全範囲から出題される入試の練習とも言っていい実力テストでは計3回とも目標の6割は超えました。
ただ、いくら目標を超えても、あくまでも定期テスト・実力テストなので本番ではありません。
9割取る気でやっていたからか思ったほど嬉しくはなかったのは覚えています。

また、過去問がなかなか思うように解けず、入試直前の1月頃には軽くノイローゼ気味になったり、入試2週間前にインフルエンザにかかったりととんでもない状況が続きましたが、

最終的に、入試では8割を超え、晴れて志望校であるB高校に入学できました。
高校入学直後、担任から聞いた話だと、受験者の中で20位以内の点数だったようです。

そもそもB高校は6割取れれば合格なんですが、今まで模試でも8割達したことなかったのに、まさかの本番が最高得点という結果でして、実際のところ市内トップのA高校受けときゃよかったという嬉しさ半分後悔半分でした。(欲は尽きませんね。)

成功するマインド

なぜ合格できたかといったら、自分自身の努力もそうですが、それよりも動機というか、キッカケになったものが大きいと今では思います。

そのキッカケというのが、滑り止めなしの公立1本という家庭環境です。

選択肢が限られていて、自分自身は高校行くか働くかの中学生からしたら究極の2択であったからこそ、より「こうなりたい」という意思が強まり、素直に行動に移せたのではないかと考えられますし、今となってはそういう成功体験を経験できたので、その経験が割と現在に至るまで成功の大原則として自分の中で生きています。
そう考えると、意図してないとはいえ両親に感謝しています。

ただ、そういう環境じゃないと頑張れないか?というと全然そういうわけでもないと思いますし、どんな環境であれシンプルに目標にこだわり続けるマインドを持つことが非常に大事なのかと思います。
ただ、選択肢が多かったり、目標へのこだわりが薄いと、うまくいかなかった時の言い訳を考えたり、環境のせいにしたりと、そんな状態じゃ成功は遠のいていくのではないかと思います。
自分自身を常に後に引けない環境に無理矢理持っていくという方法もあります。

  • 適切な目標
  • 適切な計画
  • 適切な方法
  • 適切な息抜き

この4つが短期間で成績を上げた成功の秘訣だったと思います。
特に「目標」が大事で、ここが全ての原動力になると考えています。

また、目標並びに強い意志を持ったことで、考え方が変わり、結果的にそれが自分の運命を変えたとも感じています。
それは後に知ることとなる、元イギリス初の女性首相で、「鉄の女」の異名を持つ、故マーガレット・サッチャー氏の言葉と重なりました。

考えは言葉となり、言葉は行動となり、行動は習慣となり、習慣は人格となり、人格は運命となる。

故マーガレット・サッチャー元英首相

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